(6日目)
ラパス2日目。8時起床でホテルの豪華な朝食ビュッフェに行く。フレッシュフルーツ、ヨーグルト、ベーコン、パンケーキ、数種類のジュースとバナナシェイク、コーンフレーク、グラノーラ…卵も好きな風に焼いてくれる。



私はフライドサニーサイドアップと具のたっぷり入ったオムレツを頼んだ。朝食ビュッフェはなんでこんなに楽しいんだろう。私はビュッフェの中でも特に朝食ビュッフェが好きだ。色とりどりのフルーツが並んでいる様は、健康的で正しい感じがする。

朝食を食べたあと、13時までホテルでゆっくりして、街へ。



お金をおろしに行こうとシティバンクの使えるATMに行くけれど、なぜかカードが読み取れないと出て、現金がおろせない。ボリビアも、その先のペルーでも日本円から現地通貨への交換は出来ない。USドルをなんとしてでも手に入れなければならない。なぜかゆみのサイラスカードは使えたので、ゆみに120ドル借りた。

私のUS残金は50ドル。トラベラーズチェックが100ドルあるけれど、南米では扱っていないところが多い。もっとUSドルを持ってきたら良かったと後悔した。クレジットカードと銀行のカードがあれば大丈夫と思っていたけれど、ここではキャッシュが一番強い。



それから今日の目的地の魔女市場に向かう。途中ゆみが迷子になって焦ったりもしたけれど、3人で無事に魔女市場にたどり着いた。魔女市場にはミイラ、さてつのたくさん着いた鉱石、ハーブ、お香、まじない用の人形、キラキラしたグリッターのついた小さなカエル、フクロウの剥製などが置いてあった。




どの店も置いてあるものは似たり寄ったりだ。どうやって使うのだろうと不思議に思ったけれど、スペイン語の話せない私は彼らと会話は出来ない。もう少し語学が出来たらどんなに世界が広がっただろう。そんな後悔を抱きながら、市場を後にした。



ここではどんなにクリームを塗ってもすぐに手がしわくちゃになってしまう。乾燥がひどくて、喉もイガイガする。いつもの倍以上近い位置にある太陽は、水分と一緒に体力も奪っていくようで、少しの移動で心臓が波打って、手がしびれた。2日目になって私にも高山病の症状が現れはじめたようだ。急な坂道の上り下りをするたびに、心臓に負担がかかった。人より心臓の打つ速さが遅い私は、体力の下がったとき、心臓の音と動きにとても敏感になる。通常時には意識しない体の芯のリズムが時には遅くなったり、速くなったりと、乱れる。今回はリズムは正しくても1回1回脈打つごとに心臓がとても慎重な動きをする。魔法にかかったのかもしれない。

ホテルに戻った後、出発前にシャワーを浴びたいというゆみと、語学面では頼りにならない稲田を置いて、レセプションに翌日以降のツアーの交渉に出かけた。今晩からウユニのツアーに出かけて、帰ってくるのは明日の7時半。ホテルで勧めるツアーの開始時刻は8時。街で見たツアーの開始は7時45分。どちらにしても、バスが遅れたら間に合わないギリギリの時間だ。

レセプショニストのアントニオは初老の男性で、英語は不自由だけれどもとても人が良い。私たちのウユニツアーをブッキングしてくれて、18時のホテル出発まで無料でチェックアウト時間をのばしてくれた。彼の勧めてくれたウユニツアーは約1万円で、街の相場を考えるとかなり高かったけれど、とにかく予定を決めたかった私たちはそのツアーに申し込んだ。その後にチチカカ湖とプーノ、そしてその先のマチュピチュの入り口の街であるクスコまで行く交通手段を彼に相談していたのだけれど、彼の勧めてくれるツアーはまた1万円を超えた。

街中のツアー会社であれば4000円程度ですむ。お金を切り詰めたいゆみは街中のツアーで行きたいと強く主張していた。私は、正直決まりさえすればなんでも良かった。返信しなければいけない山ほどのメール、遅い回線、途切れ途切れになる電波で何度操作しても「送信できませんでした」になるブログ投稿にもいらついていたし、何から何まで1人で心配しているような気がするのも癪に障っていたし、度重なる英語の不自由な相手との交渉にも疲れていた。アントニオは、9時にホテルに迎えがくるように手配して、ツアーを1時間遅れで参加できるように手配も出来る、と言ってくれた。それでいいのか、というので部屋に電話するといって、部屋で待っている稲田とゆみに話した。稲田はそれでもいいと言ったけれど、ゆみは街中のツアー会社で別のツアーを探してくると言う。私、具合が悪くなってきたから悪いけど稲田とゆみの2人で探してきてくれるかな、というといいよ、と言う。電話をきった瞬間、強烈なめまいを感じてその場に倒れてしまった。



ホテルのボーイさんたちが酸素吸入器とお水を持ってきてくれた。酸素を10分吸って、お水とマテ茶を飲んだら気分は回復した。部屋に戻って、ゆみと稲田がツアー会社に行くのを見送った。その時点で4時半。ホテル出発は6時なのでギリギリまで探せるように、2人とも荷物のパッキングを終えてから出かけた。私も自分の荷物をゆっくり片付け始めた。程なくして部屋の電話が鳴って、ゆみと稲田からラパスにもう1泊して、チチカカ湖の太陽の島を飛ばしてその先の街、プーノに行こうという提案があった。太陽の島、(Isla del Sol)はこの地域の目玉でもあるのでかなり行きたかったけれど、一緒にツアー会社に行けなかったのは私の責任だから何も言えない。ありがとうと言って電話を切った。


太陽の島を飛ばすのはかなり惜しかったけれど、予定が決まったことで、安堵感に包まれた私は新しいスニーカーに履き替えた。1000円ちょっとの底の硬い靴は今までの靴に比べてちゃちなつくりだったけれど、軽かった。

6時。ホテルに大きなバックパックのみを預けて、私たちはバスターミナルに向かった。ホテルの呼んでくれた運転手はターミナル内のチケット売り場まで連れて行ってくれたかわりに、多大なチップを要求して結局相場の2倍の20ボリビアーノを払わされた。20ボリビアーノといっても、日本円換算だと300円だ。彼はこのお金で家族を養うんだと思ったら切なかった。



晩ご飯には、チキンとソーセージの挟まったパンとポテトを買った。これ全部で300円程度。それを3人で分けた。唇が痛いという稲田はあまり食べていなかった。

食後にトイレに行ったら0.5ボリビアーノ要求された。お金と交換に紙を渡してくれたが、紙は流してはいけなくて、便器の横のくずかごに捨てなければならない。トイレから出たら、民族衣装を着ている現地人の集団がいた。可愛い赤ちゃんを抱いた男性に「赤ちゃん、可愛いね」と言ったら嬉しそうな顔をしたので、写真を撮ってもいい?、と聞いた。是非撮ってくれという動作をするので、1枚撮ったところで横から母親らしき人が出てきて、お金を要求された。赤ちゃんのミルクのためのお金だという。なんだかとても寂しい気持ちになった。



ターミナルの中には外国人、現地人が入り交じっていて、それぞれに話したり眠ったり、何かを食べたりいている。言葉も外見も違う私たちだけれど、みんな食べて飲んで排泄して寝るんだと思うとやっぱり人間って不思議だと思ってしまう。



一緒のバスにのるアメリカ人のドミニクという男性と少しだけ話した。シアトルで生まれ育った彼は、スターバックスのお店をデザインしたこともあるデザイナーだというが、これからシンガポールにあるゼロックスでインダストリアルエンジニアとして働き始めるらしい。その間のブレイクでこうやって南米を旅しているという。ラパスの良いバックパッカー宿を教えてもらった。7時出発のはずのバスは8時になってから出発した。出発前にターミナル使用税の2ボリビアーノを支払わされた。



バスは座席指定で、私は9番に座った。足かけのついたリクライニングシートだ。ゆみが横の10番で稲田は5番で私たちの前だった。稲田の横には国籍不明の太ったおじさんが座った。コンタクトレンズを外した私は防寒をしてからipodを耳にさしこんだ。

出発前に妹が少し曲を足してくれていたので、それらを中心に聴く。日本から遠く離れた場所で、日本の音楽は体中にしみわたる。歌詞の一語一語が感性を刺激して、歌手って本当にいい職業だなあと思った。バスは真っ暗闇の中出発して、私は目を閉じた。