(7日目)



いったいどんな道を走ったらこんなに揺れるんだろうと思うほどバスは揺れに揺れまくっていた。揺れに種類があるとしたらまるで全部を味わわせようとしているかのように上下左右にいろんな大きさで揺れる。バッテリーが切れ気味のipodで手元のG-shockを照らすと、朝の3時49分。23時頃からずっとトイレに行きたいのだけれど、バス備え付けのトイレを使っている人を他に見ない。この揺れの中最後尾まで行くのはかなり辛いだろうし、トイレが汚かったりしたらもう最悪だと思って我慢を決め込むことにした。普段からトイレの近い私は、一応バスに乗る前に水分摂取を控えたのだけれど、それでもやっぱり自然の欲求は定期的にくる。このまま到着の7時まで我慢し続けなくてはいけないんだろうか。

窓の外も見たかったけれど、結露で何も見えない。水滴をぬぐってまで見ようという気は起きなかった。とにかく寒くてババシャツ、Tシャツ、セーターの上にフリース、スキージャケットとバスに備わっていた毛布をかぶったのだけれどもまだ寒い。動く気が起きない。



朝7時過ぎ。ウユニについた。真っ先にバスのトイレに飛び込んだけれど、案の定汚い。おまけに我慢しすぎたせいで何も出すことが出来ず、「膀胱炎になっているかも」と暗い気持ちでトイレを後にした。バスの前には私の名前を書いた紙を持っている日焼けした女性が立っていて、ツアー会社まで連れて行ってくれた。けれどその後何も指示がない。みぶりてぶりで待ってろ、何か食べていろ、と言ってくるので近くのカフェに入った。



ロッキングチェアのあるシートについて、生クリームののったココアを、チョコラテコンクレマを頼んだ。温かいココアで体を温めたかったし、脂肪分が欲しかった。程なくして、青い器にココアとたっぷり盛られた生クリームが運ばれてきた。木でくりぬいてつくられたのであろう小さいスプーンがついていて、それで生クリームをひとさじすくって食べると、ほどよく甘く舌の上で溶けて嬉しかった。




その後待ってろ待ってろと何度も言われ続け、結局10時半まで待たされた。待っている間私はカフェで書き物をしたり、目の前にあった広場でぼーっとしたり、ブログ用の写真を撮ったりしていた。外の広場には私たち以外に白人のツーリストも何人かいた。彼らもカフェでパンケーキを食べたり、英語版の地球の歩き方「ロンリープラネット」をめくったり、ぼーっと現地の人たちを見たりしていた。




私はその中でも朝食をとる白人カップルにみとれていた。重そうなグラスになみなみとつがれたスムージーを2人で分けて、女の方がバナナにグラノーラとヨーグルトをかけたもの、男の方がパンにたっぷりジャムを塗ったものを美味しそうにほおばっている。人がものを食べる様を見るのは楽しい。食べることは生きることだから、躍動感みたいなものを感じる。朝の光をいっぱいに浴びて、外でとる朝食というのはそのまま幸せの象徴な気がした。なんて幸せな二人。なんて絵になる光景。

天気が良くて空が真っ青なのだけれど、イースター島の空とは違う。イースター島では空はもっと深い青だった。ここの空はもっと薄い。稲田はバスで夜、星を見たという。シースター島ほどではないけれど、満点の星空だったそうだ。東京では明るすぎて見られない星なんだろう。

10時半にもうあと5分と言われて、ベンチに座って15分。10時45分にやっとツアー会社の女性が呼びに来て、泥だらけの白いバンに乗り込む。街は全体的に赤茶けていて、レンガで出来た家が目立つ。




最初に着いたのは昔の鉄道の跡だった。昔鉱山があったので、鉱石や物資をチリまで運ぶための列車だったそうだ。1985年に出資していたイギリスの会社が倒産して廃止されたという。






そこで何枚か記念撮影をした後、塩湖の入り口の街コルチャニにある製塩所と塩のホテルを見学。製塩所は家族経営だという。火と塩の塊の前で、女性が黙々と塩をビニル袋に入れる作業をしていた。2000パックをつくって、ようやく30ボリビアーノ。日本円換算だと450円。出来た塩はローカルマーケットで2kgで1ボリビアーノ、15円で売れる。ビニルの口を、火で溶かして淡々ととめていく女性は、観光客を見ても笑ったり言葉を発したりしなかった。




塩のホテル「プラヤ・ブンカ」は、殺風景だった。ベッド、テーブルなどが全て塩で出来ているという以外はただの小屋だ、トイレが汚くて、水が出ず、おまけに1回につき5ボリビアーノ(75円)という破格の使用量をとられる。シャワーはない。ガイドブックを見て、一瞬でも泊まってみたいと思った自分を悔いた。ワンデイツアーにして本当に良かったと思う。




ただ、塩のホテルの周りの景色は素晴らしかった。見渡す限り白い塩。地平線が遙か遠くに見える。ガイドがこんなふうにして写真を撮るといい、といってボールを地面に置いた。被写体が少し離れて、撮影者が地面に寝転んで撮ると、ボールの上こびとが乗っているような構図が出来る。私たちは稲田の飲んでいたコーラを置いて、自分たちがコーラのボトルキャップのようになった写真を何枚か撮影した。



私がリュックにつけていたgooのうさぎのキャラクター、ぐっぴょんも大活躍で、いろんな人がぐっぴょんと写真を撮りたがった。ここにきて思いがけず役に立った普段は役立たずの人形はどこか誇らしげに各国の人のカメラにおさまっていた。私たちもぐっぴょんの前でgooの人文字をつくった構図で写真を撮った。世界遺産などの前でgooという人文字をつくるのも今回のミッションのひとつなのである。





ホテルでその後、お昼ご飯を食べた。リャマの肉のステーキ、ゆでたポテト、インゲン豆、ミックスベジ、トマトと生野菜と少しだけこっちのしょっぱいチーズが入ったサラダ、堅くてところどころ黒く焦げ目のついたパン、そしてコーラ。




別のバンにのっている陽気な老夫婦が話しかけてくれた。あなたのぬいぐるみは何、と。ぬいぐるみは日本のグーグルのような検索エンジン、グーというところのもので、そこに今回の旅行のスポンサーをしてもらっているの。その代わりに、各地でこのぬいぐるみと写真を撮らなくてはいけないの。あら、そうなの、じゃあ、私たちと一緒に撮って、ということで、私は老夫婦がぐっぴょんを抱いている写真を2枚撮れた。ぐっぴょんが世界デビューしたことで、gooの人が喜んでくれるといいんだけど。



昼ご飯の後は、イスラデペスカ、魚の島という場所に行った。広大な塩の湖の中に浮く、サボテンの島。ここでも私は息がきれてしまった。標高4000メートル近いここでは普段は何ともない消化活動さえ体の負担になる。頭がぼーっとして、手が痺れる。それでも、島のベンチから見渡す塩湖は美しかった。塩湖の面積は約1万2000平方キロメートル。ガイドさんはベルギーが半分入ると言っていた。地球の歩き方には約20億トンの塩がここにあるとかいてあった。20億トン。世界中の塩がこの塩湖だけで賄えるんじゃないだろうか。私はふと想像した。世界の果てで、世界中の人のために塩をつくる夫婦の姿を。もし私にもっと豊かな想像力があったら、ここを舞台にたくさんのお話を創れたのに。



塩湖の見学は16時半に終わり、そこからウユニの街に戻った。バンで走り抜けた草原にはリャマがいた。そして、たまに現地の住民がふろしきのようなもので包んだ大きな荷物をかかえて歩くのを見た。あの人たちは一体どんな人生を歩むんだろう。本なんて読むんだろうか。パソコンなんて使うだろうか。それら無しで、どんな毎日を送るんだろう。昔読んだ大草原の小さな家シリーズを思い出した。パンを粉から手作りして、キルトをつくって、暖炉の火を囲ってお話をして、メープルシロップを雪に落として固まらせて食べる生活。豊かな生活ってなんなんだろう、とふと思う。





街に戻ったのは18時過ぎで、それから20時のバス出発まで、広場にあったイタリアンレストランでご飯を食べた。稲田とゆみがスパゲティで、麺類がそこまで好きではない私は店主がおすすめしてくれたチキンカツを頼む。運ばれてきたチキンカツはお皿いっぱいにのばしてあって、ポテトと白いご飯がついていた。これで30ボリビアーノ、450円。製塩所の女性が2000パックつめてようやく稼ぐお金を、半分以上残した夕食に費やした。バスは20時過ぎに出発して、私はまた眠れない夜を過ごした。




(持ってる紙は、ATOKとカスペルスキーなんですけど、わかりにくいですかね?)